気が小さい太めゲイなむらさき日記

割と周りに知られている気が小さい大柄なゲイです。そんな私の日常や気になったことや想いを。

イヤだったこと

昔のことを思い出すとイヤな気分になりませんか?

私はよくあります、些細なことや何でもないことなのに。

そういうことってよくありませんか?

いくつかあるんです、そういうのが。もうね、嫌で嫌で。

 

 

クラスメートを「さん」付けで呼んだら気持ち悪がられた

昔からそうなのですが、私は友人がなかなかできにくくて、

小学生の時、男子クラスメートを「さん」付けで呼んだんです。

例えば鈴木さん、のように。ごくごく自然だとは思うのですが、

しかし、そのときの周りの反応はなぜか気持ち悪がられて。

こちらとしては丁寧な呼び方として「さん」を付けたのに、

それを気持ち悪いと言われて。

 

後から考えると、男子同士は「君」付けなんですよね。

でもそこまでの関係ができていないというのは

小学生の私でもうすうす気づいていましたし。

そんな私が「君」付けをすること自体おこがましいかな、って

無駄なことを考えてしまう小学生だったのです。

たまたまその時「さん」付けをして呼んだだけなのに、

それまでは気持ち悪いだなんてことを言われてなかったのに。

 

それから人と話すのが本当に苦手になりました。

大学生くらいから慣れてできるようになったのですが、

それまでは極力人と話さないようにしてましたっけ。

 

男の子向けのものを与えられる

現在ならばそういうことも薄れつつあるのでしょうが、

私が子供のころ、男の子だからといって青いものやロボット人形、

ドクロモチーフのものや、おもちゃの刀剣など。

そういったものを無条件で遊ぶように与えてもらって。

いらない、とは言わないイヤな子供だったのですが、内心はイヤでイヤで。

 

特撮やアニメはあまり観なかった私に、

たまに会う人が上記のモノをくれることがありました。

ありがとう、と感謝の気持ちは伝えますが、

その後に特別遊んだり使ったりすることもなく。

今だったらいらない、とか有意義な方法もあるのでしょうが、

子供の私にはそれを使わない、という手段しかとれませんでした。

 

本当は赤やピンク、オレンジの色が好きだったのになぁ。

おどろおどろしいものは昔から、今に至るまで好きではないです。

 

好みのタイプの女性の話を合わせるのが苦痛

これは逆に大学生になってからの話になりますでしょうか。

20歳を過ぎて飲み会があったり、大学生の友人と話したりすると、

こういう話になっていくことは自然な流れでした。

まさか男が好きだなんて言えることもなく、

好きでもない女性のタイプを、まるで壊れたラジカセのように、

延々と話していたような覚えがあります。

 

別段何も感じる必要はないのですが、

周りに嘘をついているという罪悪感が、日に日に心を満たしてきて、

ただただしんどい思いをしておりました。

「あんまりそういう話、好きじゃないんだよね」

というオブラートを数十枚包んだカミングアウトをして、

どうにかその場その場をしのいだ覚えがあります。

 

当時の私は同性が好きということをまだ自身の中で消化できてなくて、

(消化しなければいけないわけではない)

自分が一番自分のことがわからなくって。

なにがなんだかよくわからないフワフワとしているときでしたので、

より嘘をついているということが回りの友人たちにも、

女性の方にも失礼で欺いているような、

無駄に大げさな恐れと申し訳なさを感じておりました。

 

 

 

今の私なら、こんなことを言われてもされても、

サラッと流せるような気がするのですけどね。

それでも当時のことを思い出すと、

どす黒いタールのようなものが、心に沁み込んでくるような、

そんな気分になるのです。