気が小さい太めゲイなむらさき日記

割と周りに知られている気が小さい大柄なゲイです。そんな私の日常や気になったことや想いを。

死~雨が誰か一人に降り注ぐということはない~

 violet-roses.hatenablog.com

 以前書いたこのことについて多くの方に見ていただき、

私の気持ちというよりも、彼が実際に生きていて、

楽しく過ごしたことが本当にあったことであり、

間接的に彼のことを多くの方に知っていただけたことが

私としては非常にうれしく思います。

肉体的にはいなくなってしまいましたが、

私の心の中で、そしてブログを読んでいただいた

皆様の心の片隅で、彼が生きていたという証を

残していただけたことに感謝しております。

あれから約2週間、私はどうなったのでしょうか。

 

 

結論から言いますと、何も変わっていないのが現状です。

表面上、社会生活を送る上では、何も支障はありません。

ですが、少し弊害と言いますか、

何をしても今一つ楽しく思えなくなっています。

いろいろな考えても仕方のないことを、

頭の中でぐるぐると考えてしまいます。

 

深い悲しみの後に怪しげな人や事件に巻き込まれると聞きます。

前まではそんなこと、私には関係ないと思っていましたが、

今ではその気持ちがわかります。

鰯の頭も信心からと言いますが、頼れるところに頼りたくなる気持ち、

今の私を騙すのは、そんなに難しいことじゃないだろうなぁって。

どんなに相手が冷え切った心でも、優しく暖かな言葉を

その人からかけられたら、きっと信じてしまうだろうなぁと。

友人である私でもこの状態なのですから、

愛情あふれる家族さんの喪失感はいかほどか、

想像するだけで胸が苦しくなります。

 

彼の死があってからできなくなったことがあります。

中島みゆきさんの曲が聴けなくなってしまいました。

彼女の歌はどんな歌でも自分のことを歌っているように、

昔から思っていました。

歌に出てくる人や事柄を自分に当てはめて聴いていました。

 

そのせいでしょうか、全ての歌ではないですが、

「命」「愛」「恋」「旅」などをテーマにした歌を聴くと、

涙があふれて止まらなくなってしまいました。

ヘッドフォンで聴いていると、みゆきさんが優しく

語るように歌ってくれているようで、

心に寄り添われているようで、大きな腕で包み込んでくれるようで、

その安心感と喪失感が入り交じり、余計に辛くなります。

もう少し、心が回復してから、みゆきさんの歌を聴くことにします。

 

タイトルの言葉は私が大好きな方からツイッター上でいただきました。

それまで泣かずにいたのですが、この言葉を見た瞬間、

涙があふれてきました。今まで我慢していたのに。

いろいろな意味がある言葉だと思います。

その方はあなたの悲しみは私の悲しみだ、とも言っていただきました。

心寄り添われ、その安堵の気持ちで泣いてしまったのでしょう。

ありがとうございます。