気が小さい太めゲイなむらさき日記

割と周りに知られている気が小さい大柄なゲイです。そんな私の日常や気になったことや想いを。

どれだけ輪に入れないことに絶望しても、私はまた試みる

なかなか難しい

出来上がっている関係性の中に飛び込んでいくことは

大変に勇気がいることであり、とても難しいことです。

特に私のようなコミュニケーションに自信がないと。

身一つで突入するということは大変です。

 

何の話かと言いますと、ゲイバーの話なのです。

どうでもいいけど、ちょっと寂しいお話です。

 

 

そもそも私はそんなに呑めもしないので、

ゲイバーという場所に行くことはそうそうありません。

地元では行くことはなく、遠出したときにせっかくだから、

という気持ちで行くことが多いのです。

ただどこのお店に行ってもなかなか馴染めず、

意気消沈して帰ることが多いのです。

もちろんお店が悪いなんてことはありません。

なかなか馴染めず輪に入れない私が悪いのです。

 

話しかけたり、話しかけられて対応したり、

初対面の方だと特にむつかしくなります。

どんな性格なのか、どんな背景を持っている人なのかがわからず、

失礼な物言いにならないか、相手を傷つけることにならないか、

頭の中で堂々巡りをしている間にタイミングを逸してしまいます。

 

そもそも何を話せばいいのかわからなくて。

相手が話してくれたことに対して共感や相槌なんかは得意なのですが、

殊更自分から話すとなると何を話したらいいのか。

自分に何もないと思ってしまうと、こちらからの話題提供ができず、

また提供できる話題を上手く話す話術もなく、

どうしても黙ってしまうことが多くなります。

 

いろいろと考えていました。私の提供できることってなんだろう。

ひいては私のアイデンティティによるところなのかと。

そうすると、ヘテロセクシャルの方と接するときには、

私は無意識にゲイであることにアイデンティティを置き、

それを拠り所にしてその鎧を身に着け、相手と接することが多いのだと。

 

しかしゲイバーではみんな同じようなアイデンティティであるため、

その拠り所が拠り所として機能せず、

鎧のない身体一つで他人と接しなければいけないため、

非常に憶病となり、二の足を踏み、何もない自分自身を曝け出せず、

黙り込んでしまうのではないかと。

 

このブログを見ていただいている方はご存じだと思いますが、

私に何もないわけではないのです。

ボードゲームだったり旅行だったり、色々なことをしたかったり、

様々な面があるのですが、どうしてもそれを話せなくなってしまいます。

場の話題の流れをしっかりと吟味してしまい、

それに乗り遅れることが多々あります。

場の空気を読みすぎて、必死で話題という弾丸を詰め込んでいるうちに、

もはやその銃は古すぎて使い物にならなくってしまうのです。

帰り道になると一人で反省します。ああすればよかった、こうすればよかったと。

しかし後の祭り。もうそのお店には行けなくなってしまう自分がいます。

 

でも人と話をしたい、初対面の人と仲良くなってみたい。

そんな欲求が旅行をする度、私の耳元で囁きます。

「また行ってみようよ、今度はうまくいくよ」と。

何度も何度も失敗しても、何度も何度も打ちのめされても。