重い愛2
今現在なぜかアクセスの多いこの記事
私の少しおかしい、行く宛のない愛の話を書きました。
そんな私の重い愛についてまた書いてみます。
ひかないでね。お願いします。
私は人を愛すると、その人のことを隅々まで知りたくなります。
愛する人の半生を知りたくなります。
どんな生活をしていたの?どんな子供時代を過ごしたの?
学生時代は?社会人になってからは?
彼女とはどんなお付き合いをしていたの?
ご家庭ではどんな感じなの?
そんなことを知りたくなります。
自分でも気持ち悪いなぁと思いながら、その人のことを色々と知りたくなります。
なぜこんなに知りたくなるのでしょうか。
以前にこの記事の最後にも書きました。
例え私の愛した人でなくても、私は「人」が好きなのです。
その「人」について色々と知りたくなるのです。
自分にはない考え方、自分が体験できなかった人生
自分が持っていない友人関係、自分が手に入れられなかった素敵な家庭…
そういうものにものすごく興味があるのです。
だからといってその人生を乗っ取ろうなんてことは思わないのですが、
その「人」を構成する無数のピースを知りたくなります。
私の半生は人に話せるほど何もない人生を送っています。
今までの半生が全く意味はなかったなんてことは毛頭思いませんが、
それでも自分のことを話せるほど素敵な半生ではありません。
だからこそ他の人の半生が輝き、素敵なものに見えてきます。
その「人」に興味があるからこそ、その「人」が好きだからゆえに、
その「人」を愛するがゆえに、その「人」のことを隅々まで知りたくなります。
なんとワガママで自分勝手な理屈でしょうか。自分でも少しイヤになることがあります。
自分に自信が持てないのです。だからこそ「人」を好きになり、「人」を愛し、
「人」のことを知りたくなります。
私が経験できなかったこと、私が経験したかったことを聞きたいのです。
これで私の重い愛の続きは終わります。最後にこの歌を歌いましょう。
妬んでいる 君と会って君を去った古い仲間を
妬んでいる 君を愛し君を去った古い女を
妬んでいる
「君の昔を」中島みゆき